その心配で 『得』 をするのは誰?

こんちは、大阪・柏原市で
イクメンエンジニアx聴き屋・メンタルヘルスカウンセラー x 料理研究家
してます ケタローです。 (^^ゞ

やっと晴れ間が見えてきた。 朝は、少し冷え込んだようだけど、
晴れてきたおかげで、少し、暖かが戻ってきた感じやね。

ここんところ、天候不良が続いてるね。 野菜の出来に影響がでてるみたいだね。
大事に至らなければいいんだけど。

 

さてさて。

心配をよく する方?

もしくは、心配をよく される方?

子どもに対しての心配とか、

自分の身の回りに対しての心配とか、

社会とか、情勢とか、環境とか、モロモロに対する心配とか。

 

実は、ボク、よく心配 『される』 方なんだ。 (^_^;)

 

この歳になっても、親がいろいろと心配してくれる。 (^_^;)

特に、母親なんだけどね。

 

今やってる仕事についてだとか、
家庭に対してだとか、
家内との関係だとか、
子育てに対してだとか・・・。

 

こと、歳がいくにつれ、年々とその傾向は顕著になりつつ。 (^_^;)

まぁ、親だから、仕方がないって言えば仕方がない ・・・ のかもしれない。

 

今は特に、仕事面が大きいね。

逆を言えば、
安心させられるような状況でないってことが一番の問題なのだろうけど・・ (反省;)
それにしても、心配される側からすれば、あんまり心配してほしくない って思う。

ほっといてくれ! って正直思ったりする。

 

ずいぶん前のことなのだけど、あまりに口うるさく あーだ こーだ というもんで、
こちらもちょっと、キレてしまったことがあった。

いやなに・・

髪色がどうだとか、髭がどうだとか ・・。

それが得意先に対してどうだのこうだのっていう心配ごとだよ。 (^_^;)

 

『こっちもええ歳やねん。 いちいちうるさいわ!』 ってね。

 

心配してくれるのは、ありがたい。

けど、度を過ぎた心配は、こっちを信用してくれてないのか?

って、思ってしまうんだよね。

 

本当に、相手を信用してるのであれば、心配はしないはずなんだ。

信頼してるからこそ、心配なんていう余計なことはしない。

 

 

で、思うんだ。

その心配で得をするのは、一体誰なんだろう? って。

 

 

自分が、相手を心配する。 けど、相手にとって、それはどうでもいいこと。

そりゃね、『気にかけて』 くれるのは、ありがたいことだよ。

けど、心配っていうのとはちょっとニュアンスが違うね。

心配することのニュアンスって、どちらかというと、マイナスのエネルギー。

ネガティブな感情じゃない?

 

例えば、

大丈夫かしら? って心配する。

 

これって、奥底には、

『もしも、上手くいかなければどうするんだ・・・』

っていう感情が入ってるよね。

いや、それは違う! って思われるかもしれない。

けど、無意識のレベルでは、マイナスイメージが強いよ。

 

結局、心配は不安をあおる結果になりうるんだよね。

 

あなた が わたし を、

あるいは、

わたし が あなた を、

あるいは、

わたし が まわり を、

心配したところで、結局は、相手側の問題なんだよね。

 

その心配は、心配してる人自身にかかってるわけじゃない。

相手マター(相手の問題)なんだよ。

 

それをやるのは、当人。 結局は、当人の問題ってことなんだよ。

 

ならどうなんだろう?

心配で得をするのは、誰?

 

誰も得なんかしやしないよね。

 

 

でね、

心配をよくする人について言えば、『母子一体感』 の傾向が強いんじゃないかな?

 

母子一体感って、相手を独立した存在として認めていないっていうこと。

つまり、

あなたは いつでも 『わたしの思い通りに動いてくれる』

っていう想い(感情)で接しているっていうこと。

 

2~3歳児の子どもと母親の関係を思い浮かべば、イメージができると思う。

何かにつけ、

 

『あ~、あぶないよ。』

『xxx しなさい。』

『あれはだめ。』 とかね。

 

全て、親の思い通りに子どもが動いてくれないと気が気でない。

あの癖がぬけていないって感じやね。

 

要はね、相手を独立し成熟した存在としてみず、

『いつまでも、自分の手中にあって、自分の想い通りに動いていてくれる』 って、

自分本位な感情でみている っていうこと。

 

 

なら、心配なんかやめて、 『無関心』 でいいのか? っていうとそうでもない。

無関心っていうのも、ちょっとニュアンスが違うんだよ。

無関心とは、関心がないってことだから、無視に等しい。

 

無視することって、ちょっと、感情的に違うよね? (^_^;)

 

それとは違って、

相手を独立した成熟したひとつの存在として認識し、接するってことが大切だよね。

これって、つまり、離別感。

 

離別感とは、平たく言えば、大人な接し方ってやつやね。

これは、無関心ではない。

 

成熟した個体として認識してるので、その人の行動もその人個人の責任の中で行われると、
信用し、信頼してる ・・・ という感情で、接してる。

 

何が起ころうとも、あなたを信用してるよ っていう、温かいまなざし。

 

どうだろう? 心配するっていうのと、ちょっと、ニュアンスが違うよね?

 

なので、離別感をもって、接するっていうことが、その心配に対するひとつの答えになる

と思うのだよ。

 

 

そうそう、でね、もし、心配するのであれば、

気を配る っていう事の方がしっくりくるんじゃないのかな?

 

相手を信用し、相手の行く末を信頼した上で、気を配る。

 

気を配るとは、相手の気に配慮するっていうこと。

 

相手が何を望んでいるのか? 相手の気持ちに寄り添ってみる。

なら、相手をもっと理解することができるよね。

っとなれば、それは、『心配すること』 ではない。

 

・・・して大丈夫 とか、

・・・うまくいんだろうか? とか、

・・・やっちゃだめ? とか、

心配したってるねん とか ・・・

相手に寄り添うのであれば、そういう感情では、たぶん、ないよね。 (^^ゞ

 

むしろ、祈りに等しいと思うんだよね。

 

あなたの行く末を 祈り、ただ、見守る。

 

じっと見守る。

 

その心配が  得 ではなく、 徳 になりますように。

 

・・・ ってね。

 

*****

イクメンエンジニアでモノづくりやってますが、
メンタルヘルス(心理)カウンセラーもやってますっ!

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