Profile

『ケタロー』 って、どんな人なの??

こんにちは。
鉄工所の2代目社長 ニックネーム 『けたろー』こと、佐薙啓太郎(さなぎけいたろう)と申します。
(『けたさん』にしてって言ってましたが、元に戻し、 けたろー でお願いします。
まぁ、どっちでもいいんだけどね。 (笑))

ブドウと河内ワインで有名な大阪・柏原(かしわら)市で、“ワンオフ” で機械を創っています。

 末っ子の『りおん』と、飼い始めた猫『くう』と。

4人の子持ちです!

実は、ちょうどボクと同じ誕生日に4人目が生まれました!

ほんとは、ボクの誕生日よりももう少し遅い、2月に入ってからが予定日だったのだけれど、
陣痛がきたのがボクの誕生日の1日前くらい。 
家内と一緒に病院に入ったボクは、家内のお腹にむかってこんな風に語りかけたんです。

『もうちょっと待ってくれたら、一緒の誕生日だよ! 一緒に誕生日を祝おうね!』 

って。 すると、そんな祈りが通じたのか?(笑) 
ボクの希望を聴いてくれたかのように、同じ誕生日に出てきてくれましたっ。

待望の女の子!

家内からのボクへのバースデープレゼント! 
ほんとに、素晴らしいバースデープレゼントでしたよ! 

ちなみに、長男坊と長女の歳の差は、一回り=12歳! 
そんなこんなで、子ども4人の父親奮闘中でござります~~。(笑)


仕事のことを少し。

セミナーや勉強会などで初めてお会いする人からは、ほぼほぼ、
『美容師さんですか?』 って、聴かれます。 
第一印象がそんな風に見えるみたい。 でも、全然違ってて・・・。 

では、何の仕事をしてるか? って言うと、鉄工所の2代目やってます。(^^ゞ 

ボクの会社の名前は、『大青鉄工(ダイセイテッコウ)』っていうのだけど、
“鉄工” っていうと、概ね、溶接したり、パーツを作ったりって、そっち方面の
イメージが強いみたいですね。

でも、うちの場合、 鉄工所と言ってもそっち方面の仕事をしてるのではなく
機械そのものを創ってるので、もう少し、第一印象を変えた方がいいなぁって思って、
最近は、【時短化設計研究所】っていう屋号(別名)で仕事をするようにしてます。

で、どんなものを創ってるのか? っていうと、
先代であるうちのオヤジが包装機を得意にやってきたので、メインとしているのは、
ブリスター包装機 っていう、ブリスター包装をする機械を創ってます。

ブリスター包装って何かっていうと、
よく店頭で、↓ こんな感じで売られてるパッケージがあると思うんだけど・・。

 

台紙と透明の容器がくっついた、中味のみえる包装様式。

要は簡単に言うと、
熱で溶ける糊がぬってある台紙と透明の容器を熱でくっつけて、パッケージにするっていう
↓ こんな感じの機械です。
 

“ワンオフ” なので、この時のお客様向けには、この形。 

あ、ブリスター包装機の詳しくは、このページをみてね。 ⇒ 『ブリスターパック・ラボ』

他には、↓ これは、レーザーマーカーっていう、レーザー光線で文字を書く
装置があるんだけど、それを組み込んだ機械とか・・・。



商品に “文字や記号を描く” 時に必要なサポート用の機械を作ったりしてます。
詳しくは、 ⇒ 『マーキングコトはじめ』 をみてね。 (^_-)—☆Wink


ちなみに、うちのスタンスは、単一のものを創ってるわけじゃなくってさ。
テーマを頂いて、その中に眠ってる『不』を解消するような機械を創造していくような感じ・・
でさせてもらってます。
詳しくは、⇒ 『時短化設計研究所』 または、『ダイセイテッコウ』 を見てね。


鉄工所の家系。

さかのぼると、
うちの親父のオヤジ・・・つまり、爺さんが鉄工所を経営してたらしい。
って、ボクが生まれる前のことなので、詳しくはわからないんですけどね。

その当時は、かなり手広く経営されてたらしくて、かなりの資産家だったもよう・・。
爺さんは考えるコトが好きな人だったらしく、特許もいくつか保有してて、
なかなかのやり手だったみたい。 でも、その会社、諸事情で潰れてしまったんです。
潰れていなければ、もしかすると、3代目になったかもしれないなぁ・・・なんて。
でも、オヤジは次男坊なんで、それはそれでややこしい状況になってたのかも。(笑)

親父は、独立開業する前からラベル印刷機とか、パック包装機だとかの機械の開発・製作に
携わっていたようです。 

『・・よう』って、親父の仕事を把握したのが家業を継ぐようになってからなんで。

小さい頃を思い返せば・・・
自宅にはロールに巻かれた無地のラベルとか、パックされた何ちゃらチョコレートだとか
(試作品みたいなの)があったのをうろ覚えながら、覚えてます。
今から思うと、あれは機械の試運転とかに使った資材だったんでしょうね。

そうそう、小学校の頃、工場に連れてってもらって、初めてみるピストル型の『エアーガン』で
バシューン、バシューンと遊んでいたのをふと、思い出した!
何に使うかも全く分からず、ピストルの形をしてたので、ただただ面白がっていじってた。
今から思えば、迷惑な話やね。 (^_^;)

もっとも、お目当ては工場の近所の中華料理屋のから揚げだったんだけどね。(笑)
あのから揚げはうまかったなぁ~! (笑)

そういう環境も手伝ってか、小さい頃から機械いじりが好きでした。
いじるというか、そのものの成り立ちを見るのが好きだったんです。 
分解して『これは、どうなんってるんやろ?』って。 
今でも、デザインとかモノの構造を見るのは好きですね。 
どうやって動いているのか? どういうメカニズムや設計をしているのか? 
って、そっちの方に目がいってしまう。 (笑)
それに、爺さんからの遺伝なのかもしれないけど、あれやこれや考えることも好き。

で、ボクは機械系の学校に進学して、ボクが19くらいに、親父が独立したんですよ。

卒業後は? どうするの?

卒業後どうするか? 
その先の進路を決めるとき、ボクは家業を継ぐよりも就職を選びました。

なんで、家業を継がずに就職したか? って言えば、

そのまま会社に入ると社会を知らずに終わってしまう!! 

ってものすごく不安に思ったから。それは恐怖のようにも感じたんです。

それに・・・
ほぼ男子校だったので家に入ってしまえば出逢いもないんだろうなって思ったのと、あとは、
そのまま家業に就くと、家でも会社でも四六時中、親の顔をみなきゃなんないのか! って。

なんか、ものすごく親に拘束というか、束縛されるような感じをもったんですよね。

・・・そうそう、特に、女の子との出逢いの面は切実に思った。(笑)
工場と実家の往復って、たいした出会いも期待できないだろうから、恋愛もできずに
見合い結婚になるのかな・・・ なんて。


父親からは、『うちに入ってくれ!』 って、面と向かっては言われなかった・・・気がします。
ただ、『お前、どうすんねん?』 みたいな感じだったような。

でも、就職を決める時期が近づくにしたがって、見えないプレシャーっていうのか・・。
たぶん、親の当人たちには、そんな自覚はないのだろうけど、

『継いでくれるもの』

っていう感覚や感情がヒシヒシとこっちに伝わってきて、それが、 なんだかなーー  って。

その当時、強烈に思ってたことは、

『ボクは親の傀儡(操り人形)じゃないんだ!』 

って、妙な反発心をおぼえたりしてました。
ちょうど国語の授業が、『人形の家』だったこともあって、すごく覚えてます。

で、モロモロの気持ちを話して、就職することにしました。 

サラリーマンの頃。

結果から言えば、就職して正解! でした。

就職活動は? っていうと、
バブル終焉の時期でもあったのだけれど、まだまだ、売り手市場な時期。
今の人からすれば考えられないくらい、それはそれは恵まれた時期だったんだよ。

学校のルールで、募集に対して一人1社までというのが決められていて、どこを選ぶかは
早い者勝ち、手を挙げた者勝ち。 たくさんの募集があって、ボクが選んだ就職先は、
神戸製鋼とテキサスインスツルメンツが合弁でつくった半導体製造会社。

(拝借してます。 m(_ _)m)


その当時は、半導体が 『産業の米』 と言われてた時代で、事業の多角化の一環として、
大手各社(特に鉄鋼関連)が半導体事業にのりだすってことが流行ってた。

半導体って、ボクにとっては未知の分野だったんだけど、【会社の1期生】っていうことに惹かれて
『この会社、受けます!』って、手をあげて。

成人式用に買った着慣れないスーツを着て、ガチガチになりながら面接して、
作文書いて、その日のうちに、『あなた、採用だから! よろしくねーー!』 って、
即、内定! (*^-^)ニコ

その時の一服がうまかったこと! ( ´△`)y-~~プハー あれは、忘れられないなぁ。
あ、今はやめてるけどね。 (*´ー^`)ゞてへへ

で、晴れて、1期生として入社が決まった。 

内定式は、新神戸オリエンタルホテルで立食パーティー。 
入社式も同じくそこだったと思う。 

出来てまもない会社だったんで、実は、建屋も建設中だったんだよ。
なので、入社後1年間は、それぞれのグループにわかれて研修生活。

最初の1カ月は、灘にある神戸製鋼の研修センターで、ビジネスマナーなどの社会人とは! 的な研修。 
その後、配属が決まって、GWを経て、ボクは茨城県の美浦村にある
日本テキサスインスツルメンツの半導体製造ラインで現場研修。 
初めて、クリーンルームという現場に入った。

こんな感じ。(ちょっと、拝借してます。m(_ _)m)

(実際にボクが入ってた現場じゃなく、あくまで、イメージね。(^_-)—☆Wink)

茨城県での研修が、おおよそ3カ月。 
それが終わって、システムの部署が東京・田町にあったので、そこに移って、
今度は、実務であるシステム系のお勉強スタート。 その後、秋くらいに三宮へ。

年が明け、建屋ができたので工場のある兵庫県の西脇市へ移動したんだ。

↓ こんな会社。 (鹿島建設さんのサイトより拝借。


そこからおおよそ9年間、西脇の工場でシステムエンジニアとして勤務してたんだよ。

これがその当時の資料。 まだ、持ってたりする・・。 (笑)

システム(全体の流れや構成)を考えて、機能や仕様を考えたりしてた。
一応、外資系だったもんで、英語で。

ちなみに、これはCMPっていうプロセスのオンライ化(自動化)について資料。



そうそう、ちなみに、当時の会社は解散して、今はもう存在してないのよ。 
半導体業界って、移り変わりが激しいから、当時同期だった連中も各社・各地に移ってるみたい。

いろんな経験をさせてもらえたサラリーマンの時代は、ボクにとってはすごく貴重なひと時だったよ。

とてもいい時期を過ごせたと思う。

システム系の部署を選んだので、それも大きな糧になってる。
ネットワークやパソコンに明るくなれたのもそのお陰だからね。 

でも、なんで、システムなのか? って? 
それはね、半導体の専門がさっぱりわからんかったから。(^_^;)

同期の連中は、大学時代からその道をやってきてる人ばっかり。
半導体の物性とか、処理とかね・・・ その点ボクは、まったくの素人。 

機械系の出身だったんで、半導体製造装置に関わる部署もあったのだけど、
その部署にいってしまうと、局所的全体が見えなくなると思ったから。 で、選ぶのをやめた。

あとは、ぶっちゃけて言うと、将来的に『家業に入ること』と、『もしものときのツブシ』
念頭に入れて・・(^^;)ゞイヤー   で、システム系を選択したんだよね~

まぁ、正解だったと思う。

結果的になんだけど、コンピュータやシステム系の知識や技術って、
そのまま家業に入ってたら、恐らく身につかなかっただろうと思うから。

で、就職したことで、何が良かったか? って、アメリカにも行けたこと! (*^▽^*) 

あとは・・・
彼女と出会って、結婚もしたし。(笑)  めちゃくちゃ感謝だね。(*゚ー゚)v

そんなこんなで、親会社の再編などもあって、区切りもよかったんで、家業へと。

家業を継ぐ!

でさ、すんなり、家業のあるこっちの世界に来たか? っていうとさ・・・。 
これが、そんなに甘くはないんだよね。(大汗)

正直、家内とはちょっともめた。(滝汗)

結婚を決めた時、
彼女には、いずれは家業を継ぐから ってことを話してた・・・つもりだった。
でも、その 『いずれ』 が、彼女が考えていたスパンとはかけ離れてたみたい。(^_^;)
十分に伝わってなかった・・・ っていうか、伝えていなかったんだよね。

なので、彼女が思ってた いずれ ってのは、『今』じゃなく、定年後とかそんな感じ。

しかも・・・当時は、ちょうど子どもが生まれたばっかりだったんで、そんなに早く、
その日がくるとは思ってもみなかったみたい。 彼女にとってはまさに、青天の霹靂。

まさか! なんで、今なの? 今じゃなきゃいけないの??

みたいなね。 
それに、結婚して住んでたのが彼女の地元ってこともあったので、地元(親元)を離れることへの
抵抗も大いにあったみたい。 

話を切り出して以降、しばらくは、泣き通しだった。

それでもボクは、なんだかんだと、こっちへ。 むろん、もしもの時も想定しながら・・・・。
でも、まぁ、今となれば、思い出話だね。

子どもが大きくなるにつれ、生活のリズムもでき、コミュニティもできて、
ようやく落ち着いたって感じかな。

・・・って、家内からこの当時をきくと、結構きついコトバで返ってくるんだけどね。 
それだけ、衝撃的な出来事だったんだと思う。


趣味について。

さて、話題を変えよう。

ボクの趣味はといえば、料理!

思い起こせば料理が好きになったのは、小学校くらいからかなと思う。 
知り合いのにぃちゃんが楽しそうにやってるのをみて、 ボクもやってみよう!  って。 

その当時でも料理とか、お菓子つくりとか、モロモロ、チャレンジしてたよ。
本を見たり、料理番組でやってたのをやってみたり。

サラリーマンの時の寮生活にはキッチンがなかったので、実家に帰って料理してた。

結婚してからもやってたのだけど、毎週末ってほどでもなかったかな。
気が向いたらやるって感じだった。

ちなみに・・・入籍して、その祝いも兼ねてつくったのが、トマトソースのペンネ。(*^-^)ニコ


本格的?に やり始めたのは、ここ最近だね。
どちらかといえば、本をみて作るというより思い浮かんだのを創るというスタイル。

なんか、アレが食べたいなぁ とか、
アレとアレを組み合わせたらどうなんだろう? とか。

頭に浮かんだイメージをやってみるって感じ。

なので、イメージを形にするという点では、機械づくりも料理つくりも共通してると思ってる。
それに、料理って段取りが大切だから、いろいろと訓練にもなってるんだよ。

得意は、パスタ料理とから揚げ。 イタリアン系やアジアン料理や中華がすきやね。

最近のハマリは、アジアン系。ナンプラーを使った料理をちょくちょくやってる。
ガパオライスとか、グリーンカレーとかね。 (^^ゞ

 
ガパオライス(左)  グリーンカレー(右)

あ、
パスタと から揚げは、子どもたちに大好評!

 


そうそう、
フェースブックページでまとめてるんでよければ。⇒ Worker’s Kitchen

料理だけをまとめたインスタグラムはこちらから。 ⇒ インスタグラム(WokersKitchen)

でね、将来的には、店をやるぞ! って、ひそかに計画中です。

どんな店か? っていうとね、モノづくりをテーマにしたサロン的な店。

ボクがモノづくりをするもんで、製造業や生産業に携わってる人の憩いのスペースを
提供できればいいなぁって。 Cafeでもいいんだけど、お茶だけじゃなく料理もだすみたいな。

で、そういう店の実は、オーナーになりたいなぁって。 (*^-^)ニコ
アタマの中で、すこ~し、具体的に考えてたりします。(*´ー^`)ゞてへへ

エクスマとか、心理学とか・・。

学ぶことって、大切なことだと思ってます。

前職のサラリーマンの時代には、
会社から自分の業務に関するような専門技術的なセミナーに行かせてもらったりして、
なんやかんやと勉強してました。 その頃の座右は、『日々是学習』

日常のどんなことからでも、吸収できることや学びになることがあるはずだ! 

ってのがボクの信条だった・・・のだけど・・・ こっちにきてからしばらくは、さっぱり。

環境が変わった所為もあってか、そういう気分ではなかった。
というより、そういう感情になれなかったっていうのが正解かな。 
むろん、シゴトとしての学びはあるのだけれど、外に出ての学びとかは全く。

正直なところ、
勉強しに行く=『何をしにいくねん? そんな間があったら、工場の仕事、作業をしろ!』
というオヤジ(社長)の暗黙の眼(プレッシャー)がちょっと気になって・・。

負い目というか、引け目というか、そういう感じ。 まぁ、当たり前だよね。
移ってきたばっかりで ろくに仕事もできない人間が、何ゆうてんねんって。

それに、自分の気持ちの中にも

『セミナーにいったって、どうせ、講師の懐(フトコロ)をあっためるだけさ!  
 経営に負荷をかけるだけ。うちにはそんな余裕はないよ・・・』

な~んて、思ったりしてね。(^_^;) 

結果として、
ホンマに仕事以外の何の勉強をすることもなく、ただ、工場と家を往復する日々を過ごしてたんだよ。 
おかげで、カラダがプクプクと太り始めた。 (汗) 
思い起こせば、体調的にもあんまりよくなかった時期でもあったような気がする。 
風邪もよく引いてて、ことあることに、すぐに近所の医者に駆け込んでた。 (^_^;)

で、ようやく "2代目=社長" を引き継いだ頃、

“このままやったらアカン。なんか、せなアカン。 なんかせな・・・” 

という想いが、なんか、フツフツと芽生えてきて・・・。
社長になったってことで、勉強する大義名分(=言い訳ともいえるか・・。(笑))がつけれるもんね。

社長になったし、勉強しとかんとまずいと思うから、セミナーにいっていい?

って、そんな感じ。 

まぁ、それにタイミングっていうのかな、その頃になると、『勉強するんやったら、行ったらええ!』 
って、オヤジの眼も少し緩和するようになってたのも手伝って、いろんな勉強をするようなった。 
それが2010年のこと。

その時に出会ったのが、エクスマ=エクスペリエンス・マーケティング

その当時頻繁に出入りしてた大阪産業創造館(大阪市の第三セクターが運営してる経営課題を解決する場)
の廊下で、見慣れない、聴きなれない単語が目に入ってきたんだ。

『エクスペリエンス・マーケティング セミナー』。 

エクスペリエンス? マーケティング?

体験に、売ること? なんじゃそれ?
これは、なんか、おもろそうやん!  

ってわけで、そのセミナーに参加して、“モノを売るな、体験を売れ!” という藤村正宏氏の
教えに心を打たれ、彼が主催のエクスマ実践塾に飛び込んで、マーケティングについての
あれやこれやを学んだ。

     商売にせよ、仕事にせよ、人が営んでいる以上、結局は、人なんだよなぁ

と。

ボクにとって、エクスマで学んだ一番大きなことは、伝えることの重要さ。
“伝わらなければ、存在していないも同じ!” だからって。 (^_^;)

それから、その塾の更に上位コースである エヴァンジェリストコース を受講し、
エクスマの講師として、外部講師もさせてもらったことがあるんだよ。 (*´ー^`)ゞてへへ




でね、
エクスマ実践塾で出会った仲間たちからの刺激やいろんな影響をうけて、
心理学にたどり着いたんだ。

心理学(メンタルヘルス)にたどり着けたことは、ホントに感謝すべきコトだと思う。

会社や仕事のみならず、親子関係、夫婦関係や、子育てにも使える。
そもそもの人のココロを学べたことは大きかった。(って、まだ、学びの最中なんだけどね。(^^ゞ)

というわけで、学びの道を邁進中。
このログを通じて、自分自身のアウトプットにつながればいいかなと思ってます!

今後とも、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします! m(_ _)m


2014年7月吉日
2016年10月吉日 加筆。
けたろーこと、佐薙 啓太郎。


プロフィール。

    ニックネーム: けたろー  (他、ケイ、ケタさん、ケタローさん など。)
            みずがめ座 落ち込みの激しい黒ひょう 風x風 誕生数秘=11

1971年01月
大阪にて 佐薙晏道(さなぎ やすみち)家の長男として産声をあげる。
1971年~
病弱でひ弱な幼少期。
3歳の頃に 紫斑病になって、死にかけたらしい。
幼稚園の頃、園庭にあった遊具の高いところから友達と飛び降りて骨折。

小2の冬くらいに、現実家のある八尾市に引っ越し。
気弱な転校生だった。(^_^;)

小4の頃、夏休みが始まってすぐに、肺炎になって入院。
小5と小6の夏休みに真田山の水連学校にいって、少し自信をつける。
身長もグッと伸びて、気弱さから脱出。 

【中学校の頃の話。】
家のはす向かいの子が地元では有名な相当のワルだった。 でも、
その子の父親がうちの父親を知ってて、『あそこの子には手を出すな』
ということで、逆に守られてた。 (後日聞いた話。)
本来なら、標的にされていた可能性大だったので、ホンマにラッキー。(笑)

ちなみに、うちのオヤジはその昔、そこそこヤンチャしてたらしい。
で、そのヤンチャつながりが、その子の父親だったというわけ。 
なので、その親からすれば、昔のオヤジを知ってるので手を出すなと・・。

ボクはと言えば、中学時代は、まじめで勉強三昧な日々を送っておりました。
ちなみに、成績は優秀な方。 (あ、中の上ね。笑)

受験のシーズンになると、朝3時くらいに起きて勉強をするという生活をしてまして、
お陰様で、志望校に無事合格!
1986年04月
大阪府立工業高等専門学校 機械工学科入学。
(現・大阪府立大学工業高等専門学校)

女っ気のない生活を送るが・・・ 
この頃の同級生が今もなお、気の合う一番の友達だね。 感謝!
1991年03月
大阪府立工業高等専門学校 機械工学科卒業。
1991年04月
KTIセミコンダクター株式会社(※1) の1期生として入社 。
半導体工場のシステムエンジニア(※2)となる。
入社以降の1年間は工場が未完成だったため、茨城県(美浦)と東京(田町)で
過ごし、のち、神戸(三宮)へ移動する。

※1 神戸製鋼とテキサスインスツルメンツの合弁会社。
※2 工場内のオンライン化(情報自動化)を主業務とし、
   そこでシステム構築の考え方=全体の捉え方 を学ぶ。
1992年03月
工場が完成し、兵庫県西脇市の住民となる。

1994年07月
前年に沖縄・久米島で体験したダイビングが高じて、
オープンウォーターのライセンスを取得。 趣味をダイビングとする。
以降、ちょくちょくダイビングにいそしむ。
有給消化率はほぼ、100%をマーク! (笑)
潜りに行ってたのは、石垣、宮古島、沖縄本島とか。
海外は、プーケットやセブ島、グアム島。
グアムは1人でもちょくちょく行ってたなぁ。
※ 現在、ブランクダイバー更新中。 ((涙)) 
 ⇒ 2016年初夏。 無事? ブランク脱出しました~! 
   ダイビングに行かれる際は、誘ってください! (笑)


川平石崎マンタスクランブルにて。
1997年?月
彼女と付き合い始める。 何月の頃か忘れた・・・ (^_^;) 
違う部署だったのだけれど、たまたま、同じ店でその部署も飲み会をやってて。
それが縁で、翌日にメールしたのがきっかけだったなぁ。(^^ゞ
他の連中は飲み会に参加してた人々に一斉メールしてたのだけれど、
ボクは、個別でメールしたのね。 それが、功を奏したみたい。(笑)
電子メールがきっかけ って、ちょっと、ハシリやね。
1998年11月
その彼女と結婚。 小野市の住民となる。
1999年12月
長男誕生!

この当時の担当だったのが、2000年問題への対応。
2000年になると、西暦下二桁が『00年』と表記されるので、プログラムの
書き方によっては、不具合がおきるとされたんだ。
チェック項目やチェックの仕方のリストを作成して、
半導体装置ベンダー(メーカー)に配布して確認をしてもらって、取りまとめた。
2000年01月
KMTセミコンダクター株式会社(※)を退職。
※ KMTセミコンダクターは、途中で社名が変わりました。
  現在は、完全に解散して存在しておりませぬ。


子どもが生まれて間もなくってことと、彼女の想定外だったこともあって、
実家に帰ることに関して、少しもめた状態になる。(^_^;)
2000年02月
家業を継ぐべく、帰阪。 
創作機械開発の道へ。  現住所に居を構える。

彼女はついてきてくれたのだけれど、わだかまりはついたまま・・。
2002年03月
次男誕生。
2003年06月
仕事上の資格も取っとかねば・・・ってことで、通ってた
日本包装機械工業会の包装学校を修了。
『包装機械相談士』の称号を得る。その時の成績が優秀だったようで、
優等賞ももらった。(^^ゞ

 
2004年09月
三男誕生。
2007年01月
社長へ就任。

おおっぴらに、『社長に就任しました!』ってこともなく、
法務局へ行き、登記変更をしてきて・・・という感じ。
関係各位へは、ちょうど、年賀状の頃だったのでそれで済ませた。
形式ばったことが嫌いで、知ってる人が知ってればいいという感覚。

社長になったからどうってこともない。それは今も変わらない。
2010年05月 
エクスマ(※)と運命的な出会いをする。
※ エクスペリエンス・マーケティング。  
  モノを売るな体験を売れ! の提唱者 藤村正宏氏に師事。
2010年07月
セミナーで知り合った人の勧めで、中小企業家同友会に入会。
知り合った人は、なんと、オヤジの旧知でもあった。
世間は狭いこと知る。(^^ゞ
2011年01月
璃音誕生! 4人目にして待望の女児! (笑)
ちなみに、同じ誕生日!
2011年09月
エクスマ エヴァンジェリスト カテ9 修了。
2012年05月
里美ねえやん(※)からイメージングを習う。
初級~中級クラスを受講。
※ 尾崎里美氏に師事。  
2012年10月
縁あって、『代替医療コトはじめ ※』 受講。
カラダのこと(代替医療(統合医療))を学び始める。
長男坊がひどいアトピーだったこともあって、カラダのことについては、
すごく、興味を持っていた。
※ おのころ心平氏に師事。のち、ibマッピング(※)を学ぶ。 
  現マッパー宣言中。
※ 代替医療コトはじめは、現 自然治癒力学校です。
※ ibマッピング:こころの状態をひも解けるツール。
2013年03月
2012年の年末に、おのころ心平氏が企画した
『ボディxマインドxスピリッツ 黄金のコラボセミナー』を受講し、そこで、
メンタルヘルス(心理学)に初めて出逢い、日本メンタルヘルス協会にて心理学を学ぶ。
基礎講座修了。
※ 衛藤信之氏に師事。
2013年12月
心理学をさらに学ぶべく、研究コースへ進む。
2014年8月
日本メンタルヘルス協会 研究コース修了。
2015年12月
日本メンタルヘルス協会の研究コースの講座で受けた『魔法のしつもん』を
さらに学ぶべく、魔法のしつもん認定講師講座を受講。
晴れて、認定講師(14期)となる。
※ マツダミヒロ氏に師事。
2015年~
日本メンタルヘルス協会公認 心理カウンセラーとなる。
興味から学び始めたカラダのこと、ココロのことを仕事に活かすべく精進中。


【取得資格など】
包装機械相談士
日本メンタルヘルス協会公認 心理カウンセラー
魔法の質問公認 キッズサポーター(※)
魔法のしつもん カードマスター
魔法のしつもん認定講師 (14期) 取得。
ビジネスしつもんコンサルタント

※ インストラクターだったんですけど、更新しなかったんで今はサポーターです。(^_^;)