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【時短設計®】という視点。

こんちは、けたろーです。 

最近の雨は尋常じゃないくらい降りますよね。 線上降雨帯・・ なんて、ボクの小さい頃にはなかったと思う。 まぁ、〝どしゃぶりの雨〟は、小さい頃に何度か体験してるけど、最近の様なのはあまり記憶にはないです。 

先日も大雨の影響で、ボクの普段の通勤路がダメージをくらって(山の土手が崩れた。。)、しばらく片側一車線になったり。。。 気象は確実に変わってきてる気がしますよね。

さて。

うちの事業のひとつとして、【時短設計®研究所】という項目があります。 且つ、その活動を【時短設計®研究所】として別サイトで運営しているのですが、ちょっと整理していこうかなと思っています。 なので、こちらに集約させるべく、リライトしていくつもりなので、よろしくお願いしますね。 

でも、なんでサイトを分けてるのか? っていうと・・・ 端的に〝きまぐれ〟っす。笑  単純に、格好いいかなと。w

が、当初は『専門性』という意味合いで、やってる事業ごとに分けて管理する方がわかりやすいかなって思ってたのです。 だけど、最近は逆に自分の中でわかりにくくなりつつあるので、ぼちぼち整理しようかなと思った次第です。 

自分の中でわかりにくいということは、お客さんにとってはもっとわかりにくいですもんね。(汗)

それに、よくよく考えると、ここ『大青鉃工(ダイセイテッコウ)』でやってることと、時短設計®の活動は、ほとんど等価でもあるので境目を失くした方がいいのかなって。 (* ^,_っ^)ゞ

あ、いちお、商標登録までとってる、時短設計® って、そもそもなんやねん? ですよね。苦笑 【時短設計®】についてご存じない方がほとんどだ。。というか、皆、知らないですよね。滝汗 なので、改めて少しお伝えしていきますね。

ちゃんと商標登録してます!

時短設計® とは?

前職を辞して家業に戻ってきた時、うちの親父は、『省力・省人化、合理化機器の設計・製作』ということを会社の定款(企業活動としての名目)に挙げて、活動を開始しました。

で、当初はボクも、その言葉に対して特に何も感じることもなく仕事をしてきたのだけど… というより、〝省人化〟とか、〝省力化〟って言うワードは、ボクらの中では、ごくごくありふれた言葉だったし、聞きなれた言葉でもあったので、その点に関しては『ふ~ん、そうなんだ。』って言う程度の認識でいたのです。

そんなある時、不意にその言葉に何かしらの違和感を覚えるようになってきたんです。 具体的に言うと、いろんなセミナーに行きだしてから… かな。

で、違和感というのは、仕事がら、ちょくちょく生産現場とか製造現場にお邪魔することがあって、その時に感じた違和感が明確になったということです。 それは何か? っていうと、ご依頼先の会社さんに打ち合わせにお邪魔すると…. 現場で働くスタッフさんから怪訝そうな眼で見られるんです。 怪しい人がきた! という感じなんでしょうか・・。w  

そういうのをちょくちょく感じていて… で、なんで、そういう見られ方をするのか? ちょっと考えてみたんです。 

恐らく、勘の良いスタッフの目線には 「うちの社長、また何か入れる気だな? 何か企んでやがる」 的に映るようで、それが、彼らからすると自分の作業=仕事が『奪われてしまう』という危機感とか、強いては、自分の存在意義すら危うくなってしまう絶望感とか、そういう気持ちが湧いてくるんでしょうね。 

そこで、これは、もしや〝省人化・省力化〟という言葉がそうさせている? のかなぁなんて風に思ったんです。 もっとも、真っ先には、何の目的でボクらのようなのが現場に来たのか? っていうことが予め現場に伝わっていないというのもあるんですけどね。w

そんな中で浮かんできた言葉が、

時短設計®

時間に追われる生産現場から、ゆとりを生み出す生産現場へ。

言葉が変ると、当然その意味合いも、それに纏わる印象やイメージも変わってきます。 『省人化』は、まさに【人を省く】イメージですよね。 その先にはリストラとか人員整理が待っているという印象が強くないですか?  スタッフさんの立場なら、それがより色濃く出てくるのだと思います。

でも、『時短設計』とすると、どうでしょうか? 

最終的なゴールは、作業を効率化させ、生産性を高めていくことであって、どちらも同じです。 でも、時短設計と省人化・省力化ではその視点やアプローチが異なります。 時短設計の視点は、『時間の使い方』です。

作業の中で、人や物のレイアウト、作業に対する導線や作業フロー(手順)を見直すことで時間にゆとりが生まれます。 そこには【省人化・省力化】の要素は含んではいるものの、『省く』というニュアンスはなくて、むしろ、整理していく中で〝ゆとりな時間〟を生み出していくというイメージです。 

【時間】への捉え方を変えてみる。

〝仕事に対する時間への捉え方・考え方。〟については、各社各様、各人各様なのかもしれません。 が、概ね、どんな仕事であったとしても基本的な考え方は、『就業時間内にどれだけパフォーマンスを得るか?』 なのだと思います。 

生産現場にあてはめれば、就業時間内にどれだけの生産ができるのか? ということであって、要は、生産性をどのように効率よく高めていくか? ということです。

ただ、生産現場の場合では機械の処理能力も大いに関わってきます。 裏返せば、機械の処理能力を上回るような生産計画や注文がでてくれば、就業時間内には終わらないということです。 終わらない分は残業するか、生産ラインを増やすか、スタッフを増やすか、などといった方法で対応する。 単純な話なんですけどね・・・。

でも、ただやみくもに新しい設備や人員を導入すれば能力が改善できるのか? と言えばそうでもなくて、、例えば、人や機械(ライン)の配置変更などに加えて、根本的に工程を見直すといったことで大幅にパフォーマンスが改善できる場合もあります。 

また、生産性という面では、人の能力や人間関係に依存する場合も往々にしてあって、こと生産現場という状況に即して言えば、経営者側の思考にも大きく依存する場合もあります。(平たく言えば、経営者の考えが生産現場の生産性を阻害している可能性は否めないです…)

いずれにしても、如何に『有限な時間』をコントロールして、有意義な生産性へと繋げていくか? ということが命題になりますよね?

どうすれば、楽に仕事ができるか?

生産性を考えていくにあたって、

どうすれば、生産現場で働くスタッフさんたちに効率よく気持ちよく、安全に仕事をしてもらえるんだろう??

という視坐があります。 ちなみに、視坐(一般的には、視座)とは、

物事を見る姿勢立場。 【Weblio辞書より 視座

それをどの位置でみて、捉えるか? ということです。 加えて、視座の〝座〟を【坐】としたのは、座とは、座るという意味あいのなかでも〝座る場所〟を指しています。 一方の【坐】は、座る行為。 

言葉遊びかもしれませんが、自分の目線、視線、視点、感情、などの一切のことを思えば、【視坐】とした方がいいのかなって思ったわけです。 話しを戻して・・・ で、

もしかすると、

えーーっ!! 
スタッフを気持ちよく働かせる?? だって?? 
何をバカな! 
仕事ってしんどいもんや! 現場に楽させてどうするねん。

そんな風に思われているのではないでしょうか?  いや、もしかすると、そういう考え方の経営者がほとんどなのかもしれませんね。 実際、経営者の方と話していると〝仕事はきつくて当たり前。〟と思われている方が多いようですし、そんな自身の考え方をスタッフに課してる方も多そうです。

それで何が起こるか・・・ 

自明です。 

スタッフさんたちが本来が持っているパフォーマンスや力が発揮できず、萎縮してしまって、仕事が楽しく感じられないからイヤイヤする、もしくは、適当にやってしまうという流れが生まれてしまうのです。

仕事はきつくて当たり前。。。 でも、それは過去の考え方、捉え方です。 時代はかなり変わってきています。 身近で言うとスポーツがいい例じゃないですか?  

昔は、暑い中でも水を飲むことすら許されず、厳しい練習にも耐え、歯を食いしばってという考え方が主流でした。 いわゆる、『根性によるスポーツ(スポ根)』ですよね。 言い換えると軍隊的な思考ともとれます。

本来、楽しいはずのスポーツなのに、そこには笑顔もなく、まさに苦行のような状態で練習や試合に向かう。 一時的にパフォーマンスはでるかもしれないけど、それ以上でもそれ以下にもならない。 やがて、その【苦行】がたたって、身体を潰し、スポーツができなくなる…  

けど、今は、青山学院の駅伝に観られるように、笑顔で、みな楽しんでスポーツに打ち込む。 重くキツく、苦しい状態から脱却し、明るく、楽しくという方向に転化し、結果、ものすごいパフォーマンスを得れるようになった。

同じスポーツ。 やるならどっちがいいですか?  ボクなら後者です。 

仕事も同じです。 どうせやるなら、楽しくやりたいですよね? 経営者であるなら、そういう状況を提供するのが使命であるとは思いませんか? ポイントは、

どうすれば、(自分を含めて)スタッフさん達に気持ちよく安全に働いてもらえるか?

を突き詰めて考えていくことです。

どうなっていたら、『最幸』だろうか?

もし、作業環境が〝キュウキュウ〟とした状況にあったとしたらどうでしょうか? 精神的にも、肉体的にも余裕がなくて、もちろん、時間的な余裕もないという作業環境で、良い製品や商品、サービスが生み出さると思いますか? そんな環境にあっては、生産性が上がるどころか事故も起こしかねません。 製品に対する品質すら担保しにくくなります。

でも、逆に生産現場に少しでも〝ゆとり〟が生まれればどうでしょうか?

肉体的にも精神的にも楽になります。 また、ゆとりが生まれることで、時間への捉え方にも変化がうまれ、周囲への気配りなどもできるようになり、より一層健全、且つ安全な環境へと変わっていきます。

生産現場内にゆとりを与える、もしくは、生産現場内でゆとりを感じてもらうことで、少なくとも、現状よりも作業が楽に感じてもらえるはずなんです。

では、スタッフさんたちにゆとりを与えるためにどうすればいいでしょうか?  という質問を投げかけると、短絡的に、

機械設備や道具、新しいスタッフを入れれば全て解決できる!

と思われる方がほとんどだと思います。 が! それは違います。 

なぜ違うのか? というと、機械設備や道具、もしくは新しいスタッフをいれることは、言わば『手段』であって、【目的】ではないからです。 目的とは、『最終的なゴール』とも言い換えることができます。 つまり、目的=最終的なゴールは

スタッフさんたちがゆとりをもって、安心・安全に、且つ楽に仕事ができること。 

確かに、機械や道具、新しいスタッフを投入することで、作業が〝楽〟になるのかもしれません。 でも、目的は、あくまで〝ゆとり〟を感じてもらうことですから、ただ闇雲に導入してしまうと、かえって〝しんどさ〟が増してしまう場合があるんです。 

たとえば、機械に長けていないスタッフがいたとして、そこに対して『最新の機械』をいれるとどうなるでしょうか? かつ、そのスタッフに機械の担当を命じたとすれば??

もしくは、新しいスタッフを投入して、その作業環境での人間関係がうまく回らなかったとすれば?

つまり、〝機械や道具やスタッフを導入さえすれば解決できる〟という安易な考えで臨むと、作業現場がちょっと違った方向に進んでしまう可能性があるのです。 (´Д`ι)アセアセ

大切なのは目的を理解した上で、ご自身の生産現場にとって、今、何が一番必要なのか? を見極めることです。

どうなっていたら、最幸になるのだろう?

常にそんな風に考えていけば、ゴールへの道筋が見えてくるはずです。

ゆとりを生む先に在ること。

生産活動を継続していくにあたっては、利益を考えていくことも当然重要です。 利益を考えていく上では、〝生産性の効率化を図る〟ということが大前提にあります。 

でも、仮に生産性への効率化が図れたとしても、それが〝慌ただしさ〟の中にある効率化だとしたらどうでしょうか? 

生産を優先させるあまり、機械設備やスタッフさんたちをフル稼働させている状況で、〝良好な〟効率化が担保できているといえるでしょうか? 

短期的には効率化を得られたとしても、いずれ、機械設備はもちろんのこと、スタッフさんたちも疲労・疲弊してしまいます。 それでは、真の効率化とは言えません。 大事なことは、生産現場に【ゆとり】を与えながら、

全てにおいて、最幸のパフォーマンスで作業できるような環境を構築していくか?

です。 そして、その先のゴールは、

〝ゆとり〟を、もっと【文化的・創造的・知的】に活かしてもらうこと!

です。 それが最終的なゴールです。 ここで言う〝ゆとり〟とは、余剰な時間でも無駄な時間でもなくて、言い換えれば、〝豊潤な〟時間を指します。 ゆとりがでたから、単に遊ぶ。。ではなく、その【ゆとり】を〝文化的・創造的・知的に活かす〟のです。 たとえば、

 時に、美術館や博物館などにに行って別の考え方に触れる。 とか、
 時に、家庭やパートナーとの間柄を円満にするために共に過ごす時間を十分にとる。 とか、
 時に、街中やアウトドアで仕事とは全く離れたことに身を置いてみる。 とか・・・

そういうことです。 そこでのキーワードは、〝ムリなく、ムダなく、気持ちよく!〟です。

日々の仕事で時間を追われ、何をする〝ゆとり〟もなく、汲々とした中で過ごしていたのでは新しい発想どころか、自身の生活や人生そのものですら、危うくなってしまいますよね?

逆に、〝ゆとり〟を得ることで、家族やパートナーとの関係を円満にするための時間が生まれ、そして、それは精神的なよりどころとなります。 また、普段の仕事とは異なる視点がもてるような余裕が生まれることで、新たな発想を生みだすことにつながり、もっともっと仕事が充足し、楽しくなっていく! まさに、プラスのスパイラル! 

つまり、個人としての成長や充足した人生につながり、またそれは、会社としての利益につながっていくのです。 

生産現場を善くすることの真の目的は、そんな現場を創っていくことなのだと考えています。 それこそが時短設計®であり、そういう発想で生産現場を整えていくことが【働き方改革】なのだと考えています。

…. そして、実は、もうひとつ大切なコトを発見しました。

過去のしがらみや、枠組み、固定概念を捨ててみる。

時短設計®を考えていく上で大切なコトは、『過去のしがらみや枠組み、固定概念を捨ててみる』ということです。 前述までにお伝えしてきた中にあった、〝仕事とはキツクて、たいへんなこと〟という考え方がまさに、過去からの枠組みや固定概念でしょう。 

過去のやり方や考え方に疑問をもつことなく、それが『フツウで、常識』だと思い込み、そこに縛られてしまうと、何の進展も、進歩も、発展もありません。

先人・先輩方がやってきたことを否定するつもりはありません。 でも、少し、≪それって、本当にそうなのか?≫ と、少し見つめ直してほしいのです。 

もしかすると、たまたまその時にうまく行って、それがたまたま、続いてきたのかもしれません。 でも、それが今の時代や、今のあなたの会社の状況に合っているのかどうか? 

枠組みや固定概念を外して、自由な視点や発想で考えてみることで、そこには全く思いもつかなかった大きな答えが眠っています。

 どうすれば、うまくいくだろう? 

そんなことを自分自身に問いながら、いったん、全ての考え方を受け止めてみて、その上でベストをチョイスしてみる。そこに新しい解決の糸口が転がっているはずです。

時短設計®とは、つまり、 

視点を変え、枠組みを変えて発想し、
 その現場でのよりよい解(方向)に結び付ける・・

ということなのです。

   長々と書きましたが、以上、最後までお読みくださりありがとうございます!


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